「育成功労賞」受賞インタビュー

愛知産業大学三河高等学校
硬式野球部 部長

竹治 玄造

愛知県安城市生まれ。
兵庫県で育ち、小学校時代から野球少年に。
兵庫・東灘高等学校、愛知学院大学時代は捕手としてプレー。
1983年(昭和58年)4月の愛知産業大学三河高等学校開校から
2014年(平成26年)3月まで硬式野球部監督を務め、
硬式野球部部長に就任。

一番、うれしいのは
OBが訪ねてきてくれること。
今は、僕の方が、
勉強させてもらっています!

育成功労賞の受賞、おめでとうございます。率直な感想をお聞かせください。

自分自身では賞をいただけるとは思っていませんでしたので、素直にうれしかったです。長いこと高校野球の監督をやらせていただいたことを評価していただいたのだと思います。甲子園(全国大会)にも、3度出させていただきましたから。多くの方々からお祝いの言葉もいただきました。卒業生の親御さんからも、新聞などを見られて受賞を知ったと思うのですが、わざわざご連絡をいただき、非常にありがたいことだと思っています。

高校野球の指導者を目指した理由は?

高校3年生の時です。野球は小学生時代から始めて、当時は兵庫県に住んでいたので、甲子園も近く、よく見に行きました。父親も軟式でしたがずっと野球をやっていて、天皇杯、国体で優勝していましたし、監督業もやっていたので、その影響もあったのだと思います。

大学3年次~4年次には、将来、指導者になりたかったので、「愛知産業大学工業高等学校(「以下、愛産大工業という。)」の硬式野球部で学生コーチもやらせていただきました。当時、20日間ぐらい泊まり込んでコーチを経験させていただき、勉強させていただきました。当時の理事長が陣中見舞いに来ていただき、「愛知産業大学三河高等学校(以下、愛産大三河という。)」が開校する時に声を掛けていただいたんです。「ただし、大型自動車の免許を取っておいてよ」って言われました。自分でバスを運転して、部員たちを遠征などに連れて行かないといけないので(笑)。

高校野球の指導者としての目標や、実際に生徒たちと接する際に心掛けていたことは?

野球だから勝ちたいのは当然ですが、人間形成を一番にという思いで1年目をスタートしました。一番伝えたかったのは、挨拶と言葉遣いをしっかりやれるように!ということです。敬語もしっかり使えるように。それが基本ですから。野球が多少うまくても、みんながプロになれるわけではないですし。

竹治先生が監督時代の、愛産大三河野球部の成績はいかがでしたか?

創部1年目の夏の甲子園県予選は29対1で負けました。当時の戦後最多失点記録です。夏の大会で勝つには4年かかりましたが、最初はピッチングマシンもなく、がむしゃらに練習をやらせていましたから、生徒たちからボイコットされたこともありましたね(笑)。甲子園にようやく出場できたのが1996年(平成8年)、創部13年目です。その2年前にも、結構調子がよくて県予選の準決勝で8回まで9対6で勝っていたんです。でも、その回を抑えたらいけると思って隙が出たのか逆転され、最終的には10対9で負けてしまいました。その試合をスタンドで見ていた1年生が、この子たちなんです。その時の悔しい思いが、県予選を勝ち抜き、甲子園まで行くことができた原動力になったのでしょうね。

高校野球指導者を経験してきて、印象深いエピソードはありますか?

3年間に公式戦で1打席しか立っていない子がいたのですが、彼が3年生の時一度だけいい場面で送り出したら、2点タイムリーヒットを打ったんです。それで、その大会は優勝できました。彼は、それまでなかなかベンチ入りもさせてやれなかったのですが、ずっと、一生懸命に練習してきたので、その姿を見てきた他の部員たちも、みんな、めちゃくちゃ喜びましたね。部員だけでなく、親御さんたちも。本当にうれしかったですよ!

高校野球の指導者になってよかったと思うのは、どういうときですか?

OBたちが訪ねてきてくれることです。1番年上のOBはもう50歳を超えている子もいて、会社を経営している子とか、偉くなっている子も(笑)。一番は、やっぱりそうやって、いつになっても親交が続くことですね。今、マスターズ甲子園にも参加しているのですが、世代を超えて集まれるのがいいです。野球部でレギュラーだった子も、試合に出られなかった子も来てくれるので、とても盛り上がるんですよ!当時ベンチにも入っていなかった子が、今はがつんと打ったりもしますので。

今後の野球部で、目指していきたいと思うことはありますか?

今は監督に全権を任せているので野球部員だけというわけではなく、うちの学校の生徒に対して、若々しく、はつらつと元気よくなって欲しいと思っています。今の子は、見ていると精神的に弱い子が多いと思いますし、もっともっとたくましくなってほしいです。OBなんかを見ていると、バイタリティがあった子は、大人になってから、成功している子が多い気がします。彼らの方が社交的で、今は僕の方が説教されたり、勉強させてもらっていますよ(笑)。

座談会

参加メンバー

愛産大工業、愛産大三河に行って
甲子園を目指したいと
思ってもらえる野球部に。
愛知産業大学三河高等学校 硬式野球部 部長 竹治 先生

高校野球で選手を指導する上で、大切にしていることや実践していること、
理想の指導者像があればお聞かせください。

鈴木

僕は恩師に憧れて指導者になりたいと思ったので、恩師からの「情熱をもってやれ」と言われた言葉です。勝つためだけかと言われると、それよりも躾のような部分を必死になって言ってきたと思います。例えば、何か間違った言動があったときに、言い訳をしたり、嘘をついたりする子を見ると、このまま社会に出ていいのかなと思うんです。一言、「すみません!」と謝ることの方が大事だと。だから野球ができる、できないよりも、そういう躾のことをずっと言ってきました。

櫻井

僕は、やっぱり勝ちたいという思いが強く、思えば思う程、不安がいっぱいになって…。野球の不安もありますし、結局、人間がやることなので人間性の部分とかも。常に不安なんです、何とかしたいと。この本音を正直に伝え、共有し、そして立ち向かっていける組織を目指している姿が理想。

松尾

自分も高校野球で恩師に育てていただいたので、今、指導者になって、自分がしてもらったことは、今の生徒に返したいと思っています。高校野球をやってきた子たちが、「高校野球っていいな」と思って、次の世代へと同じ思いを伝えていってくれるといいなと思います。高校野球を通して出会った子たちの人生に、少しでもいい影響を与えたいと思っています。

鈴木

僕の恩師はすごく人間味のある方で、野球の技術よりも、人間性の部分をしっかりと見てくれていました。僕が高校3年生の時、当時すごい1年生ピッチャーがいたのですが、先生の目が届かないと、全然練習をやらないヤツでした。2年生マネージャーが、先生からその1年生の練習メニューを見てこいと言われたのですが、彼は言ってもきいてくれないと。ですが、チームには必要だと思ったのか、そのマネージャーは理由も言わず、先生に「力不足なので部活を辞めたいです」と言ったんです。よくよく先生が調べたらそういうことかと。そのピッチャーは先生がスカウトしてきた子だったのですが、「こいつがダメなんだから、こいつをクビにする」と言って、先生はその子を辞めさせましたね。野球が上手いからかわいがってもらえるのでなく、そういう部分を見てくれる先生の姿に憧れました。

竹治

その先生のチームには、僕が初めて夏に甲子園に行かせてもらったときに準決勝で対戦し、勝たせてもらったんですよ。向こうは負けたので、そうとう悔しいはずなのですが、その日、試合が終わってから、「明日、がんばってくださいね」と電話をくれたんです。その時、こういう方が名門の監督になるんだなと思いました。

「察する」ことが大事。だから
「察する」ということの意味を
丁寧に説明します。
愛知産業大学三河高等学校 硬式野球部 監督 櫻井 先生

今、生徒たちに対して実践していることは?

鈴木

○×は、はっきり伝えます。良いものは良かった、ダメなものはダメと。昔は、〇の部分はやってあたりまえと育てられたので、言ってもらえなかったのですが(笑)。

松尾

それも含めて、コミュニケーションをとる時間は増えたと思います。「見ておぼえる」じゃないですけど、「察する」という部分が今の子たちは下手になっていると思うので、そこは言葉にして説明しないといけないと思っています。

櫻井

「察する」なんて、今の子はものすごく苦手だと思います。ですから僕は、「察する」ということの意味の説明までします。それぐらいのことは見て覚えないとダメだとか、見る場所とか。自分自身の頭で本気で勝ちたいと思ったら、あっちも、こっちも、ベンチだって気にしなければいけないので。そこに達するところが「察する」につながるのではないか?と、そういう話をします。

指導者として悩むこと、つまずくことはありますか?

鈴木

今の「察する」じゃないですが、例えば今の生徒に「そんなこともできないなら帰れ!」と言うと、帰ってしまう。僕たちが高校生の頃は「帰れ!」と言われたら、絶対に帰れませんでした。

松尾

僕は、部長という立場なので、自分がどういうふうに生徒と接することがチームのためになるのかで、考え悩むことが多いですね。

竹治

僕は、今は生徒と接する機会がかなり減っていますし、野球以外のことでやらないといけないことが多く、一番エネルギーを使っています。

高校野球をやっている3年間を、
人生の土台となる時間にしてもらいたい。
愛知産業大学工業高等学校 硬式野球部 部長 松尾 先生

両校の野球部のチームカラーとか、特徴はありますか?

櫻井

年によって違います。主力の学年のメンバーの色が、そのままチームカラーになっていますね。今年の2年生は、落ち着きがない方で、どちらかというとやんちゃな感じがします(笑)。

鈴木

愛産大三河の子はまじめですよ(笑)。うちは落ち着いている学年と、がちゃがちゃした学年が交互になります。その中間が、本当は一番いいんですけれど。

竹治

愛産大工業と愛産大三河との選手では、比較の対象になりませんね(笑)。工業高校の子はカラダも大きいですし。うちは背が高かったら線が細いし、基本的にカラダの小さい子が多いですからね。体格がかなり違いますね。

松尾

愛産大三河の選手は、守備が安定していますよね。くずれないし、ものおじしないというか、淡々とやっているように見えます。

鈴木

うちは波があります。選手がホームランを打った時には、ガッツポーズするとか、ベンチがわっと盛り上がりますね。真っ先に、僕がやりますし(笑)。

櫻井

うちは、たまにホームランなんか打っても、シーンとしていますよ。

竹治

ガッツポーズなんてやると、怒られるんじゃないかと思うんでしょうかね…(笑)。

「見えないもの」こそ、
すごく大事にしていきたいと思います。
愛知産業大学工業高等学校 硬式野球部 監督 鈴木 先生

監督の姿が、生徒の士気などに大きな影響を与えることはありますか?

竹治

それは、もちろんですね。うちは監督が怒っているときは、まだ、生徒も安心感があるんですよ。黙って座ったら、もうあきらめたんだなと思うでしょうし、監督が元気を出して叫んでいる間は、劣勢であっても、彼ら自身も「何とかしないと」とか「何とかなる」という気持ちになるんですけど、黙られたら、もう終わりだなと。

鈴木

今年の3年生は、自分ができること、チームの役に立てることをわかっていたんじゃないかと思います。例えば、試合の中で、どうすればノーアウト1塁、ワンナウト2塁にできるか。例えサインが出ているにも関わらず、バントを決められなくても、結果的にワンナウト2塁以上の形になれば、とりあえずよしと。

松尾

控えの子も、やっぱり自分の役割をすごくわかっていて、試合のサポート、選手のサポートなど、ベンチ以外の役割を一生懸命やってくれていました。チームがめざす「日本一」に合わせて、自分たちは日本一の裏方をやる!自分たちの試合の運営で、チームを勝たせる。そういう思いをもった子たちが多かったですね。

鈴木

やっぱり将来、社会人になって仕事をするときに、そういうことって、大事だと思うんです。そういったことに対する指導を、野球を通してやっています。

今後の野球部の目標や、生徒たちに対して、やっていきたいことは?

櫻井

ものが見える子を増やしたいです。僕が話していることが理解できていて、その上で自分なりの工夫も加えてチャレンジできる子ですね。

鈴木

高校野球には、試合の流れもそうですが見えないものがたくさんあります。人間同士の信頼関係だって、数値で見える化できるものではありません。ですから見えないものを、すごく大事にしていきたいと思います。何かやってもらったら「ありがとう」ということもそうですし、さっきの「察する」こともそう。それをわかりやすく、訴え続けていきたいです。試合なら、仲間が必死になってバントを決めて、その必死さを次の選手が感じ取ってという。そういうところを、子どもたちにも感じ取ってもらいたいと思います。

松尾

自分は高校野球に出会っていなかったら、今と違う人生だったと思います。ですから、今の子たちにとって、高校野球をやっているこの3年間を人生の土台となる時間にしたいです。愛産大工業の野球部だったということに、何歳になってもプライドをもち、様々なことにトライして、その先の人生をがんばっていけるように。愛産大工業も愛産大三河も、本当に熱い思いをもった指導者やスタッフたちが集まっていて、この学校に通うこと自体、恵まれていると思いますので。

竹治

姉妹校ですのでお互いに切磋琢磨して、いい学校にして、いい野球部にして、ひとりでも多くの生徒が、愛産大工業、愛産大三河に行って甲子園を目指したいと思ってもらえるように、そして地域の人たちにも愛されるようになることが一番いいなと思います。みんな、こういう熱い思いを持っているので、いい野球部になれると信じています。

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